読書はあたかも尊い行為かのような、読書をするだけで悩みが解決して夢が見つかりコミュニケーション力が向上し日々が楽しくなり前向きになれるかのような言説をそこかしこで見聞きするがそんなわけがない

文字を追いかけるという行為は、自然に行っているようで脳に負担をかけている。
負担がかかるという事は、イライラが蓄積するということである。
映画、テレビ、漫画、アニメ、ドラマ、バラエティ、通りを行き交う人々、満員電車でたまたま隣に立った綺麗なお姉さん、ひまわり、海辺の古民家、ひぐらし、薄めのカルピス、都会よりはっきり見える星空を見ている方が幾分かイライラが少ない。
少ない、という事は本を読む方が幾分かイライラが多い。

少ない余暇に、あえてイライラが多い趣味に時間を費やすのだから、読書はある意味高尚な尊い行為なのかもしれない。
日本人はイライラが多い行為、我慢を強いられる行為、苦痛の伴う行為、とどのつまりマゾヒスティックな行為を尊いと考えがちだから。

本を読むのがイライラするなら、何故わざわざ本を買うのか。
本を買う理由を考えるには、イライラと同時にハピネスも考えなければならない。

そもそも、お金を使うともれなく「お金を使った」という事実にハピネスがついてくる。
お金の使い道は例えば寄付でも構わない。豪邸をキャッシュでポンでも構わない。
とにかく自分にとって納得にいくお金の使い道ができればハピネスがついてくる。
自分の資金力と将来設計のバランスを見るに、あまり高い買い物はできない。
かといってお酒を飲む習慣がないので缶ビールといかくんを買って家で飲むという気分にもならない。
大体500円~2000円くらいで、納得感のあるハピネスを得るには本がちょうどいいのだ。

本を買ってハピネスを得て、本を読んでイライラを得る。

つまり、私はイライラとハピネスが相殺して大体0になるよう調整しているわけだ。

私はこれをゼロサムゲームと名付けた。


先ほど読み終えたのは『バイ貝』


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内容:
私たちは、生きているだけでお金がかかる。なので稼ぐ。稼ぐには働かなければならず、働けば少なからず鬱が発生する。鬱を多く抱えていては幸せになれず、できるだけなくすようにしたい。どうしたらよいか。お金を遣うのである。お金を遣うとき、私たちは自由を味わって楽しくなり、結果、鬱が消える。しかし、お金を遣えば当然なくなる。そして私たちは再びお金を稼ぎ、鬱を溜め、それを散じるためにお金を遣う。―この宿命に、果敢に挑んだ男の姿を、著者独特の感性と言語で描いた傑作文芸作品。

感想:

笑った。

まだ読破したのが『くっすん大黒』と『パンク侍、斬られて候』のみで『夫婦茶碗』を読んでいる途中だが、町田康の書くダメ人間は最高ですね。最高にダメで、ダメさが最高ですね。

ダメってあたかも自分がダメじゃないかのような言いぐさで、傲慢だけど、そのダメさは時には自分にも当てはまり、ああ、ちょっと盛った。
そのダメさは大体自分にも当てはまり、ダメな自分を客観視するような気分になる。

最初から最後まで主人公が「悩んで、悩みを解決して、また悩んで」のループを繰り返して、ぶっちゃけそのまま終わるんですが、解説を読むとちょっと面白い。


バイ貝 (双葉文庫)
町田 康
双葉社
2016-08-04